ジャン=クロード・ミジョー
ジャン=クロード・ミジョー Jean-Claude Migeot | |
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生誕 | (1953-01-16) 1953年1月16日(71歳) フランス トゥール |
国籍 | フランス |
教育 | 国立航空宇宙大学院大学 |
業績 | |
専門分野 | 自動車エンジニア 空力エンジニア レーシングカーデザイナー 技術コンサルタント 実業家 |
勤務先 | フォンドメタル・テクノロジーズ社(1993 - ) |
雇用者 | SEP(1980 - 1981) ルノー(1981 - 1984) フェラーリ(1984 - 1987,1990 - 1992) ティレル(1988 - 1989) ミナルディ(1999 - 2000) |
設計 | アリアン1 ルノー・RE40 フェラーリ・156/85 ティレル・019 フェラーリ・F92A |
ジャン=クロード・ミジョー(Jean Claude Migeot、1953年1月16日 - )は、フランス・トゥール出身の空力エンジニア[1]。
代表作であるティレル・019は、1990年代以後フォーミュラカーの定番デザインとなった「『現代型の』ハイノーズ」を最初に採用したマシンで、空力基本コンセプトを形にした人物として知られている。
キャリア
初期
航空エンジニアを目指し、トゥールーズのENSAEで空気力学を学んだ[2]。
卒業後、SEPのアリアン1プロジェクトでロケットの設計に携わった。
28歳の1981年、一念発起して、モータースポーツでのキャリアを始める。
1981-1984:ルノー・スポール
ルノー・スポールで、空力デザイナーのマルセル・ユベールのアシスタントエンジニアとしての雇用をうける。
翌1982年の設計チームでは早くも空力責任者を務め、1983年車のRE40となって結実する。
1984年車のRE50の設計チームで、空力責任者、1985年車のRE60の設計チーム(1984)で、空力責任者を務める。
エキープ・ルノーは1985年を以てF1から撤退した。
1984-1987:フェラーリ
フェラーリでハーベイ・ポスルスウェイトの設計チームで働く。
1985年車の156/85の設計で、チーフデザイナーを務め、1986年車のF186の設計で、チーフデザイナーを務める。
1988-1989:ティレル
ティレルでハーベイ・ポスルスウェイトと018、019を設計。
1988年設計の018では、フロントウイングとノーズ底面が若干持ち上げられていた。
1989年設計の019では、更に大きくノーズが持ち上げられ「ハイノーズ」の「ドルフィンノーズ」、「アンヘドラル(下反角)ウィング」が導入された。
1990年には、マイク・ガスコインがチームに加入し、019のレースチームでの空力R&Dの手腕でポスルスウェイトに認められる。
1990-1992:フェラーリ
フェラーリで642, 643, F92A, F93Aを設計。
空力ファームを主宰(1993-現在)
R&D | 設計 | 型式 | ペトルッチ | 設計 |
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1989 | 1988 | フェラーリ 640 | バーナード車 | |
1990 | 1989 | フェラーリ 641 | バーナード車 | |
1991 | 1990 | フェラーリ 642 | Sr.AD | ミジョー車 |
1991 | 1991 | フェラーリ 643 | Sr.AD | ミジョー車 |
1992 | 1991 | フェラーリ F92A | Sr.AD | ミジョー車 |
1993 | 1992 | フェラーリ F93A | Chief AD | ミジョー車 |
1994 | 1993 | フェラーリ 412T1 | Chief AD | バーナード車 |
1995 | 1994 | フェラーリ 412T2 | Chief AD | バーナード車 |
1996 | 1995 | フェラーリ F310 | Chief AD | バーナード車 |
1997 | 1996 | フェラーリ F310B | Chief AD | バーナード車 |
1993年、ガブリエーレ・ルミは、ゴヴォーニ社から、カズマロのゴヴォーニ風洞[3]を買い取って、関連会社とした。ここにミジョーを引き抜いて、技術開発会社(イタリアで最初の、レースカー風洞試験用の空気力学R&Dセンター)のフォンドメタル・テクノロジーズ社フォンドテックを設立し、その運用全てをミジョーに任せた。
カズマロのローリングロードを備えた40%スケールのゴヴォーニ風洞は、当時世界に4つあると云われた最先端の風洞のうちのひとつで、1990年にゴヴォーニ社が顧客の使用をあてにして建設し、フェラーリによって使用されてきたが、契約解除によって売りに出された[4]。
フェラーリ側ではこの風洞は、プレーンエア風洞と呼ばれ[5]、ニコロ・ペトルッチによって当のミジョー車の設計・運用に利用されている。当時のハーベイ・ポスルスウェイトは、イタリアに設計事務所を構え、フェラーリチームでプリンシパルを務める等で重きをなし、ジャンパオロ・ダラーラとの親密度の高く、ペトルッチのサポートをしている。
このプレーンエア風洞は、もともとフェラーリがミジョーとポスルスウェイトのために用意した専用風洞だった。
2003年はチームの使用する車体設計がポスルスウェイトからジョン・バーナードに切り替わるタイミングにあたり、GTOやFDDであったような設計用の専用施設の処分がここでも行われた。
購入後はカズマロ風洞と呼ばれ、フォンドメタル・テクノロジーズ社が設立され、イタリアで最初の風洞サービスを供する、フォンドテックが発足する[6]。
1996夏には、ヨーロッパで最も優れた空気力学の学校であるトゥールーズの有名な国立航空宇宙大学院大学で訓練を受けた、アルゼンチンの空気力学者であるマリアーノ・アルペリンも出入りするようになるが[4]、彼は1991年にルミのチームでテレメトリプログラムを担当した。
フォンドテックのF1カーサービス
車名 | 投入年 | 設計年 | テクニカルディレクター | 空力サプライヤー | 空力チーフ | R&D | メカニカル設計 |
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ティレル・018 | 1989 | 1988 | ハーベイ・ポスルスウェイト | - | ジャン=クロード・ミジョー | ||
ティレル・019 | 1990 | 1989 | ハーベイ・ポスルスウェイト | - | ジャン=クロード・ミジョー | マイク・ガスコイン | |
ティレル・022 | 1994 | 1993 | ハーベイ・ポスルスウェイト | フォンドテック | ジャン=クロード・ミジョー | マイク・ガスコイン(副TD) | |
ティレル・023 | 1995 | 1994 | ハーベイ・ポスルスウェイト | マイク・ガスコイン | ティム・デンシャム | ||
ティレル・024 | 1996 | 1995 | ハーベイ・ポスルスウェイト | フォンドテック との契約は無し | マイク・ガスコイン | ティム・デンシャム | |
ティレル・025 | 1997 | 1996 | ハーベイ・ポスルスウェイト | マイク・ガスコイン | ティム・デンシャム | ||
ティレル・026 | 1998 | 1997 | ハーベイ・ポスルスウェイト | マイク・ガスコイン | ティム・デンシャム | ||
ティレル・027[7][8] | RA099 | 1998 | ハーベイ・ポスルスウェイト | マイク・ガスコイン | 出走なし | ティム・デンシャム | |
ベネトン・B197 | 1997 | 1996 | パット・シモンズ | フォンドテック | ニック・ワース(Chief)+ジェイムズ・アリソン(Head) | ||
ベネトン・B198 | 1998 | 1997 | パット・シモンズ | ニック・ワース(Chief)+ジェイムズ・アリソン(Head) | |||
ベネトン・B199 | 1999 | 1998 | パット・シモンズ | ニック・ワース(Chief)+ジェイムズ・アリソン(Head) | |||
ミナルディ・M197 | 1997 | 1996 | ガブルエル・トレドッツィ | フォンドテック との契約は無し | マリアーノ・アルペリン+ダビデ・コロンボ | Mauro Gennaro | |
ミナルディ・M198 | 1998 | 1997 | グスタフ・ブルナー | マリアーノ・アルペリン+ダビデ・コロンボ+ガブルエル・トレドッツィ | |||
ミナルディ・M01 | 1999 | 1998 | グスタフ・ブルナー | フォンドテック | ジャン=クロード・ミジョー | ||
ミナルディ・M02 | 2000 | 1999 | グスタフ・ブルナー | ジャン=クロード・ミジョー |
モータースポーツに関連する略歴[9]がfondmetal公式サイトに掲載されている。
年 | クライアント | 風洞 | マイク・ガスコイン職歴 | ||
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2001-2006 | ルノー | FondTech | 2番目の空力開発チーム | 2001-2003 | ベネトン / ルノー |
ルノーとともに、F1世界選手権(2005年と2006年)で優勝 | |||||
2003-2006 | トヨタF1 | Aerolab | 2番目の空力開発チーム | 2004-2006.04 | トヨタ |
2006 | FIA (ニック・ワース) | FondTech | CDG wing conceptの空力開発 | ||
2007 | スパイカーF1 | Aerolab | 空力開発チーム | 2006.09-2007 | スパイカー |
2008-2009 | フォースインディアF1 | Aerolab | 空力開発チーム | 2008-2008.11 | フォース・インディア |
2010-2012 | Team Lotus | Aerolab+FondTech | 空力開発のための唯一のチーム | 2009-2012 | ロータス |
2012- | CaterhamF1 | Aerolab+FondTech | 空力開発チーム | 2012- | ケータハム |
脚注
- ^ “"ジャン=クロード・ミジョー" - Biography -”. www.historicracing.com. 2022年8月8日閲覧。
- ^ “"マリアーノ・アルペリン" - People -”. www.grandprix.com. 2022年8月8日閲覧。
- ^ “"フォンドメタル F1 SpA" - Constructors -”. www.grandprix.com. 2022年8月8日閲覧。
- ^ a b “"ミナルディ ハート M197" - Technical analysis -”. www.grandprix.com. 2022年8月8日閲覧。
- ^ “PEOPLE: NICOLO PETRUCCI”. grandprix.com. 2022年8月15日閲覧。
- ^ “フォンドテック社 - History -”. www.fondtech.eu. 2022年8月8日閲覧。
- ^ “"ポール・ストッダート物語 1"”. F1通信. 2022年8月8日閲覧。
- ^ “"ポール・ストッダート物語 1" - F1i.com”. web.archive.org (2006年8月13日). 2022年8月8日閲覧。
- ^ “フォンドメタル社 - Racing History -”. www.fondmetal.com. 2022年8月8日閲覧。
外部リンク
- www
.fondtech - フォンドテック社 公式サイト (英語).eu /site / - RACING TIMELINE モータースポーツに関連する略歴 - フォンドメタル社 公式サイト (英語)
フォンドテック (サブコンストラクター, 空力サービス) | |||||||||||||||||||||||||
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設立創業者 設立関係者 |
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主な関係者 |
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風洞 |
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F1マシン/ 空力担当者 |
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ティレル | |||||||||
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創設者 | |||||||||
主なチーム関係者 |
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主なドライバー |
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車両 | |||||||||
主なスポンサー |
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ホンダF1 | ||||||||||||||||||||||||||
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第五期 2026年 - パワーユニット供給 |
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HRC 2022年 - 2025年 パワーユニット供給 |
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第四期 2015年 - 2021年 パワーユニット供給 |
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第三期 2006年 - 2008年 ワークスチーム 2000年 - 2008年 エンジン供給 |
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HRD 1998年 - 1999年 試作・試走のみ |
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無限ホンダ 1992年 - 2000年 エンジン供給 |
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本田技術研究所 1991年 - 1994年 試作・試走のみ |
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第二期 1983年 - 1992年 エンジン供給 |
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第一期 1964年 - 1968年 ワークスチーム |
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関連項目 |
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※ 第2期・第3期・第4期の「主な関係者」は、基本的に各部門の「長(ディレクター)」以上にあたる人物のみに絞って記載(多数に及ぶため)。 ※ 「関連組織」の( )には略称、[ ]には関連する下部組織を記載。 ※1 ホンダ本社の役職者と本田技術研究所の人物を除く(兼務者が多数に及ぶため)。 ※2 ホンダ所有のサーキット。第1期と第2期に主要なテストコースとして用いられた。 ※3 ホンダ所有の展示施設。第1期から第4期の車両を所蔵(基本的に動態保存)している。 |
ミナルディ | |||||||||||||||
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ヨーロピアン ミナルディ 2001年 - 2005年 |
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ミナルディ 1985年 - 2000年 |
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