1412年
千年紀: | 2千年紀 |
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世紀: | 14世紀 - 15世紀 - 16世紀 |
十年紀: | 1390年代 1400年代 1410年代 1420年代 1430年代 |
年: | 1409年 1410年 1411年 1412年 1413年 1414年 1415年 |
1412年(1412 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、閏年。
他の紀年法
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凡例
- 分類にある「日本」「中国」「中国周辺」「朝鮮」「ベトナム」は地域概念であり、特定の国家をさすものではなく、またその外延は便宜的に定めたものである。特に「*」の付された王朝の分類は仮配置であり、現在も「ガイドライン」のノートで対応を検討中である。
- 「中国周辺」は、「広義の北アジア、中央アジア、及びこれに隣接する中国の一部地域(ほぼ中央ユーラシアに相当)」を指す。
- 一段右寄せの箇条に掲げた元号は、その上段の元号を建てた王朝に対抗する私年号である。
- 仏滅紀元及びユダヤ暦は、現在のところ元年と対応する西暦年から逆算した数を表示しており、旧暦等の暦日の記述とともに確実な出典を確認していないので利用には注意されたい。
- 皇紀は日本で1873年の太陽暦採用と同時に施行された。
- 檀紀は大韓民国で1948年から1961年まで公式に使用された。
- 主体暦は朝鮮民主主義人民共和国で1997年から公式に使用されている。
- 仏滅紀元は紀元前543年を元年とするタイ仏暦を基準にしている。スリランカなどでは紀元前544年を元年としているので1を加算されたい。
カレンダー
- 1412年のカレンダー(ユリウス暦)
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できごと
日本
- 2月 - 今川貞世が置文を作って弟の今川仲秋に宛てる。
- 7月29日(応永19年6月21日) - 若狭国小浜に南蛮(東南アジア)の船が来航。1408年同様に亜烈進卿が派遣した可能性がある。
- 10月5日(応永19年8月29日) - 後小松天皇が譲位し、第101代称光天皇が即位
- 10月5日(応永19年8月29日) - 南蛮船が若狭国小浜から帰る。
- 9月 - 日向国の伊東祐安が薩摩国の島津久豊を破る。
誕生
「Category:1412年生」も参照
- 1月6日 - ジャンヌ・ダルク[1]、フランスの国民的英雄・聖女(+ 1431年)
- 6月5日 - ルドヴィーコ3世・ゴンザーガ、マントヴァ侯、コンドッティエーレ(+ 1478年)
- 8月22日 - フリードリヒ2世、ザクセン選帝侯、テューリンゲン方伯(+ 1464年)
- アブル=ハイル・ハン、ウズベク・ハン国の初代君主(+ 1468年)
- 大宮長興、室町時代の官人(+ 1499年)
- 里見義実、室町時代の武士(+ 1488年)
- 島津久林、室町時代の武士、総州家の第5代当主(+ 1430年)
- 正広、室町時代の僧、歌人(+ 1493年?)
死去
「Category:1412年没」も参照
- 4月1日 - アルブレクト、スウェーデン王、メクレンブルク=シュヴェリーン公(* 1338年)
- 5月16日 - ジョヴァンニ・マリーア・ヴィスコンティ、第2代ミラノ公(* 1388年)
- 6月10日-7月12日 - ヨハンネス・チコーニア、リエージュ出身の作曲家(* 1373年?)
- 8月6日 - マルゲリータ・ディ・ドゥラッツォ、ナポリとハンガリーの王カルロ3世の王妃(* 1347年)
- 8月24日(応永19年7月17日) - 伊達氏宗、南北朝時代、室町時代の武将、奥州伊達氏の第10代当主(* 1371年)
- 10月28日 - マルグレーテ1世、カルマル同盟によるデンマーク、ノルウェー、スウェーデン連合王国の実質支配者(* 1353年)
- 11月23日(応永19年10月16日) - 中条満秀、室町時代の武将(* 生年未詳)
- 12月28日 - コンラト3世スタルィ、オレシニツァ公(* 1359年?)
- ナースィル・ファラジュ、ブルジー・マムルーク朝の第2代・第4代スルタン(* 1390年)
脚注
注釈
出典
[脚注の使い方]
- ^ (see Pernoud's Joan of Arc By Herself and Her Witnesses, p. 98: 「ブーランビリエはジャンヌがドンレミで生まれたと語った。そして正確な、あるいは正確だと思われるジャンヌの誕生日は、御公現の祝日1月6日だと証言した」
関連項目
ウィキメディア・コモンズには、1412年に関連するカテゴリがあります。