長岡省吾

長岡 省吾(ながおか しょうご、1901年明治34年)- 1973年2月1日[1])は広島平和記念資料館の設立者、初代館長。

来歴

ハワイ移民の子として生まれる。幼年に帰国し、父の故郷である広島県佐伯郡玖波村(現:大竹市)に住む。その後、修道中学校に通い16歳で中国ハルビンに渡る。ハルビンで地質学鉱物学を学び1940年(昭和15年)に帰国。

帰国後は尼崎に住んだ。一方父は多忙な日々でほとんど家にいなかったという。

1944年(昭和19年)に故郷へと戻り広島文理科大学(広島大学の前身の一つ)で鉱石学の授業嘱託を受ける。当時(戦争末期)、実家には大勢の親戚が疎開に来ており多くの家族と寝食を共にしていた[2]

資料館の設立

その他

脚注

  1. ^ 『中国年鑑 昭和49年版』(中国新聞社、1973年)p.32
  2. ^ “を今 え - 大竹市”. 大竹市. 2021年11月4日閲覧。

外部リンク

  • https://www.choubunsha.com/sp/book/9784811325002.php
  • https://www.tss-tv.co.jp/web/press/2018/archprj01/index.html
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