有竹修二

有竹 修二(ありたけ しゅうじ、1902年5月2日 - 1976年6月3日)は、日本のジャーナリスト。

兵庫県出身。慶應義塾大学卒。1926年朝日新聞社に入社。1942年論説委員となり「神風賦」(「天声人語」の前身)を担当。1946年時事新報に移り、編集局長などをへて常務。のち産業経済新聞論説委員[1]。政治家伝記を書いたほか、講談にも造詣が深かった。

著書

共編著

論文

  • 有竹修二[2]

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ 日本人名大辞典
  2. ^ <有竹修二
  • 表示
  • 編集
典拠管理データベース ウィキデータを編集
全般
  • FAST
  • ISNI
  • VIAF
  • WorldCat
国立図書館
  • ドイツ
  • アメリカ
  • 日本
その他
  • IdRef