大河原良雄

大河原 良雄(おおかわら よしお、1919年2月5日 - 2018年3月29日)は、群馬県安中市出身の日本外交官外務省官僚位階正三位紺綬褒章受章者。

駐米大使、駐豪大使、世界平和研究所理事長などの重職を歴任した。東京帝国大学卒。

略歴 

群馬県安中市出身で政治家の大河原太一郎は同郷[1]

秀才として鳴らし、埼玉県立浦和中学校(現在の埼玉県立浦和高等学校)、台中州立台中第二中学校、第一高等学校、東京帝国大学法学部を出た。1942年に外務省入省後、海軍経理学校を経てラバウル赴任。

戦後は外務省に復職し、アメリカ局長、官房長、駐オーストラリア大使などを経て1980年、駐アメリカ合衆国大使に就任。1985年まで務めた。事務次官を経ずに駐米大使に就任するのは比較的異例だったが[2]、大河原自身はほぼ一貫して日米外交に携わってきた人物である。同県出身の中曽根康弘の盟友としても知られ、いわゆる「ロン・ヤス」時代の日米関係を支えた。

1991年、勲一等瑞宝章受章[3]

ほかに、公益財団法人YFU日本国際交流財団理事長、日米協会会長、経団連特別顧問、日米交流150年委員会委員長、本田技研工業取締役パシフィックフォーラム CSIS理事などを歴任した。赤門学友会では葛西敬之明石康牛尾治朗有馬朗人米倉弘昌らとともに顧問を務めていた[4]。郷土愛に篤く、2012年度には安中市にふるさと納税をした[5]。安中市功労者・善行者表彰を受けたこともある[6]

2018年3月29日肺がんのため99歳で死去[7]。没後正七位から正三位に進階[8]

著書・論文

  • 大河原良雄『孤立化を避けるために : 大使の直言』世界の動き社、1985年9月。 
  • 大河原良雄『日米大転換のとき』講談社、1987年12月。ISBN 9784061927865。 
  • 大河原良雄『日本の品格―世界から求められるもの』光文社、1990年9月。ISBN 9784334051778。 
  • 大河原良雄『オーラルヒストリー 日米外交』ジャパンタイムズ、2006年1月。ISBN 9784789012164。 

主な出演

出典

  1. ^ 既に選挙モードに突入した岡田義弘・安中市長の来年4月に向けた戦略とは(その2) 市政をひらく安中市民の会
  2. ^ 戦後から90年代に至るまで、朝海浩一郎、安川壮など少数の例があるに過ぎない
  3. ^ 「平成3年度春の叙勲= 勲一等・勲二等受章者」『読売新聞』1991年4月29日朝刊
  4. ^ 東京大学/赤門学友会/赤門会
  5. ^ 安中市ホームページ
  6. ^ “広報あんなか 2013年2月号”. 安中市 (2013年2月). 2021年5月28日閲覧。
  7. ^ 元駐米大使 大河原良雄氏 死去 日米関係の構築に尽力 NHKニュース、2018年4月6日
  8. ^ 『官報』第7259号、平成30年5月10日

関連項目

日本の旗 在アメリカ合衆国日本大使 (1980年 - 1985年) アメリカ合衆国の旗
代理公使・弁理公使
特命全権公使
特命全権大使
在外事務所長
特命全権大使
a 外務少輔・外務卿代理を一時期兼ねる
b 再任
c 遣アメリカ合衆国特命全権大使(在アメリカ合衆国特命全権大使の野村に加えての大使)
d 1941年12月の日米開戦後に大使館が閉鎖されたため実質的に失職、両名は翌年8月の抑留者交換船で帰朝
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日本の旗 在オーストラリア日本大使 (1976年 - 1980年) オーストラリアの旗
全権公使
全権大使
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日本の旗 在フィジー日本大使 (1976年 - 1979年) フィジーの旗
全権大使(キャンベラ常駐)
  • 在オーストラリア大使が兼轄
  • 斉藤鎮男1972-1973
  • 吉田健三1974-1976
  • 大河原良雄1976-1979(在オーストラリア大使としては引き続き1980年まで駐箚)
全権大使(スバ常駐)
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日本の旗 外務省北米局長 (アメリカ局長:1972年 - 1974年)
アメリカ局長
北米局長
アメリカ局長
北米局長
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