大場啓二

大場 啓二
おおば けいじ
生年月日 1923年2月10日
出生地 日本の旗 山形県最上郡舟形町
没年月日 (2011-09-01) 2011年9月1日(88歳没)
死没地 日本の旗 東京都世田谷区
出身校 日本大学法学部
前職 地方公務員
所属政党 無所属
称号 旭日中綬章
従四位

当選回数 7回
在任期間 1975年4月27日 - 2003年4月26日
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大場 啓二(おおば けいじ、1923年大正12年)2月10日[1] - 2011年平成23年)9月1日[2])は、日本政治家東京都世田谷区長(7期)、特別区長会会長を務めた。

人物

現在の山形県最上郡舟形町出身[1]1940年東京市経済局に入局[1]。同局に在籍しながら日本大学法学部を卒業した[1]1943年世田谷区役所に配属され、農務係長、広報係長、区議会事務局長を歴任した[1]

1975年、東京都の特別区において区長の公選選挙が復活社会共産民社3党の推薦と公明党の支持を受け、世田谷区長選挙に立候補。自民党推薦の前選任区長の佐野保房、諸派の高田巖を破り初当選した(大場:129,894票、佐野:123,803票、高田:4,231票)[3]

1979年の世田谷区長選挙では前回の非自民4党に加え、自民・社民連新自由クラブ3党を加えた7党から推薦を受け、事実上のオール与党体制で再選。1995年特別区長会会長。1999年の区長選挙では政党の推薦や支援を得られなかったものの、自民・自由2党が推薦する元東京都議会議員の熊本哲之、民主党が推薦する元区総務部長の清水潤三、公認会計士税理士で元区議会議員の鈴木義浩、共産党が推薦する日本平和委員会代表理事の宇藤義隆を破り7選。

2003年の区長選に立候補せず、政界から引退。同年、舟形町名誉町民名誉町民2004年、世田谷区名誉区民に選ばれ、秋の叙勲で旭日中綬章受章。

2011年9月1日肝臓癌のため世田谷区粕谷の自宅で死去、88歳没。死没日をもって従四位に叙される[4]

没後の2012年群馬県利根郡川場村の名誉村民に選ばれる。

著書

テレビ出演

脚注

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  1. ^ a b c d e 『新訂 現代政治家人名事典』106頁。
  2. ^ 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、137頁。
  3. ^ “世田谷区・区長選 (東京都)”. 政治データのブログ (2019年6月11日). 2023年10月12日閲覧。
  4. ^ 『官報』第5655号9頁 平成23年10月7日号

参考文献

関連項目

官選
旧世田谷区長
  • 桜井敏雄1932.10.1-1933.11.2
  • 岡野民徳1933.11.2-1936.10.10
  • 加藤清七1936.10.10-1937.1.28
  • 高田賢治郎1937.2.1-1937.9.10
  • 入江操1937.9.10-1938.7.30
  • 大倉勝馬1938.7.30-1942.9.3
  • 河野光星1942.9.3-1945.12.24
  • 富田繁1945.12.24-1946.11.22
  • 区長心得 田村保1946.11.22-1947.3.15
  • 区長心得 山岸祐1947.3.15-1947.4.12
公選
世田谷区長
  • 田村保1947.4.5-1953
区長選任制
世田谷区長
公選
世田谷区長
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