ヨハン・サンタナ

この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の姓)はサンタナ第二姓(母方の姓)はアラケです。
ヨハン・サンタナ
Johan Santana
ニューヨーク・メッツ時代
(2012年5月5日)
基本情報
国籍 ベネズエラの旗 ベネズエラ
出身地 メリダ州トバル
生年月日 (1979-03-13) 1979年3月13日(45歳)
身長
体重
6' 0" =約182.9 cm
210 lb =約95.3 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 1995年 アマチュア・フリーエージェントとしてヒューストン・アストロズと契約
初出場 2000年4月3日
最終出場 2012年8月17日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム ベネズエラの旗 ベネズエラ代表
WBC 2006年
この表について
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プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

ヨハン・アレクサンデル・サンタナ・アラケJohan Alexander Santana Araque, 1979年3月13日 - )は、ベネズエラ・ボリバル共和国メリダ州トバル出身の元プロ野球選手投手)。左投左打。

00年代のMLBを代表する先発投手の一人[1][2]2004年2006年サイ・ヤング賞を受賞。いずれも満票での選出であり、同賞を満票で複数回受賞した史上5人目の選手となっている[3]

経歴

プロ入り前

1979年3月13日、ベネズエラのメリダ州トバルで誕生。ベネズエラは野球が盛んな国であるが、トバルはプロの野球選手を出したことがない町だった[4]。幼少期はサッカーや野球に親しむが、地元のアマチュアチームで遊撃手をしていた父ヘススに憧れ、11歳のころに地元リトルリーグのトライアウトを受験する[5]。父親の右利き用グラブを使って遊撃手としてプレイしていたサンタナだが、コーチに左利きであることを見抜かれると、外野手中堅手)へ転向した[6]

1994年、サンタナは15-16歳クラスの全国大会に一塁手兼中堅手として出場[5]。このとき、ヒューストン・アストロズのスカウトを務めていたアンドレス・レイナーがサンタナの強肩ぶりに目をつける[7]。当時のMLBは選手会によるストライキの最中だったため、予算を凍結していた球団はトバルへの旅費すら出さない姿勢でいたが、何度も何度も説得を試みるレイナーの熱意に最後は折れ、GMボブ・ワトソンが旅費を自費で用意した[5][6][7]。レイナーはトバルへ赴き、サンタナと交渉。1995年1月、サンタナはカラボボ州バレンシアにあるアストロズのアカデミーに送り込まれ、そこで3か月を過ごす[5]

アストロズ時代

サンタナと契約した時、彼を外野手と投手のどちらにすべきかレイナーは先述のこともあり、迷ったという[7]。サンタナ自身は外野手を望んでいたが、サンタナのスピードは野手としては物足りないとレイナーはみなしていた[5]。結局レイナーは、当時のサンタナの球速が最速でも82mph(約132.0km/h)しか出なかったにもかかわらず、腕の振りが速いことに将来性を見出し、投手として契約を結ぶことにした[7]

マイナー時代

1996年、サンタナはドミニカ共和国ドミニカン・サマーリーグに送り込まれ、そこでプロデビュー。救援投手として40イニングを投げ防御率2.70・奪三振率11.5という好成績を残した[8]

1997年アメリカ合衆国へ渡り、主に先発投手としてマイナーリーグで3シーズンを過ごす。

1999年にはA級ミシガンでチーム最多の26試合に先発し、防御率4.66・奪三振率8.4・WHIP1.35を記録。チームメイトのロイ・オズワルトに次ぐ先発2番手として活躍する[6]

ツインズ時代

1999年12月、この年のリーグ最低勝率だったミネソタ・ツインズが、ルール5ドラフト指名対象となっていたサンタナに注目。1位指名権を持っていたツインズはサンタナの指名を決定する。しかしここで、2位指名権を有していたフロリダ・マーリンズが、自球団の有望株ジャレッド・キャンプをツインズに指名される可能性を恐れ、ツインズに取引を提案。それは「ツインズがマーリンズからキャンプを指名→マーリンズがアストロズからサンタナを指名→キャンプとサンタナ+金銭をトレード」というものだった。当初の予定に加えて金銭も得られるツインズはこれを受諾、こうしてサンタナはルール5ドラフトでマーリンズに指名され、即日トレードでツインズへ移籍した[6]

2000年4月3日、サンタナはデビルレイズ戦でメジャーデビューを果たす。同年は2勝を記録。

2001年は1勝を記録。

2002年、開幕をAAA級エドモントンで迎えたサンタナは、投手コーチのボビー・クェイヤーからチェンジアップを習得し[9]、5月にメジャーへ復帰した。この年リーグ最多の15個の暴投を記録したものの先発で7勝を挙げ、その一方でリリーフ登板もこなし、ツインズ11年ぶりの地区優勝の一員となった。

2003年のシーズン開幕前、ツインズ首脳陣はサンタナに先発ローテーション入りを明言する。しかしその後FAとなっていた先発投手のケニー・ロジャースがツインズと契約したことからサンタナはリリーフ陣に戻される。この仕打ちに不信感を抱いたサンタナは、球団にトレードを要求することも一時は考えた[6]。結局、前半戦はほとんどリリーフで登板、先発に定着したのは7月途中のことだった。8月・9月の2か月間で8勝を挙げ、ポストシーズンでも先発したサンタナだったが、肘を傷めたためシーズン終了後左肘の骨片除去手術を受ける。

2004年は開幕から先発ローテーションに定着し、前半戦は7勝6敗・防御率3.78という成績を残す。後半戦にはさらに成績を伸ばし、15試合で13勝無敗・防御率1.21を記録、 月間最優秀投手賞を7月から9月の3か月連続で受賞している。最終的には20勝6敗・防御率2.61・265奪三振(リーグ1位・球団新記録[10])で最優秀防御率・最多奪三振の2タイトルを獲得した。3年連続地区優勝を果たしたツインズのエースとして、ポストシーズンではヤンキースとの地区シリーズ第1戦に先発し勝利。さらに第2戦・第3戦とチームが連敗して後がなくなった状況では、監督のロン・ガーデンハイアーに直訴して中3日で第4戦に先発したが[11]、この試合ではチームは延長戦の末に敗戦、5回1失点のサンタナはチームの窮地を救うことができなかった[12]。チームをワールドシリーズへ導くことはできなかったサンタナだが、シーズン終了後にはサイ・ヤング賞を満票で初受賞し、4年4000万ドルというツインズ投手史上最高額での再契約も手に入れた。

2005年は、前年から続いていた記録が、連続先発試合3失点以下(MLB歴代2位)が4月5日に22で、連勝が5月1日に17で、それぞれ途切れるという滑り出し[13]。7月にオールスター初選出を果たすと、前年同様に後半戦に強さを見せ、シーズン通算では前年よりやや成績を落としたものの、2年連続奪三振王となるなど16勝7敗・238奪三振・防御率2.87(リーグ2位)という成績を残した。サイ・ヤング賞の投票では、2年連続受賞こそ逃したもののバートロ・コローンマリアノ・リベラに次ぐ3位に入った[14]

2006年開幕前の3月に第1回WBCベネズエラ代表に選出された[15]ドミニカ共和国戦とキューバ戦の2試合に先発したが2敗を喫した。

シーズンでは、19勝・防御率2.77・奪三振245と主要三部門すべてでリーグトップとなり(勝利数は王建民タイ)、投手三冠を獲得。シーズン終了後には、2年ぶりにサイ・ヤング賞を受賞した。

オフの11月には、日本で開催される日米野球にMLB選抜の一員として参加する予定だったが、3月のWBCから投げ続けて例年以上に肩を酷使していることから、球団首脳陣がサンタナの参加に反対したためやむなく辞退した[16]

2007年は球速が低下気味だったことが影響して成績を落とし[17]、リーグワーストの33本塁打を浴びて防御率が前年から0.50以上悪化、さらに自身初の2桁敗戦となる13敗を喫した。シーズン最終登板となった9月26日のタイガース戦では3回を投げきったところで降板。2004年5月29日以来続いていた連続試合先発・5イニング以上登板の記録が、過去50年では歴代3位となる123試合で途切れた[18]。また、地区首位を争うインディアンスとの試合に6度先発して0勝5敗と、ツインズが地区連覇を逃した要因にもなった。それでもWHIPはリーグ最高、奪三振数もリーグ2位だった。8月19日のレンジャース戦では17奪三振を挙げ、1試合の奪三振数で球団記録を更新している[19]

メッツ時代

ツインズはオフに4年8000万ドルでの契約延長をオファーしたものの、サンタナがこれを拒否。財政力の乏しいツインズは、2008年のシーズン終了後にFAで出て行かれる前にトレードでサンタナを放出し、見返りに他球団から将来有望な若手選手を数人獲得することにした。サンタナ獲得にはニューヨーク・ヤンキースやボストン・レッドソックスなど、資金力の豊富な球団が手を挙げた。しかしツインズ側が交換相手を欲張りすぎたため交渉は決裂、その後ニューヨーク・メッツが前述の2球団よりも見劣りする交換相手を提示し、ツインズはこれを飲まざるを得なくなった[2]。トレードの正式成立には健康診断のパスと2月1日午後5時までの契約延長合意が条件だった。サンタナとメッツは当日になり交渉期限を午後7時まで延長した末、投手史上最高額となる6年1億3750万ドルでの契約延長に合意した[20]。メッツは前年のシーズン、9月12日時点では2位フィリーズに7ゲーム差をつけての地区首位にいながら、そこから同月30日のシーズン最終戦まで5勝12敗と低迷し、フィリーズに逆転されてポストシーズン進出を逃していた。そんな中でのサンタナの加入は、メッツに漂うネガティブな空気を払拭する明るいニュースとなった[21]

2008年は選手生命を左右する可能性もあるほど悪い状態の左膝痛を抱えながらも[22]リーグ最多の234.1イニングを投げ、防御率2.53とクオリティ・スタート28回がそれぞれリーグ1位という安定した投球を披露。特に後半戦に成績が上向き、8月・9月はともに月間防御率が1点台で、9月には月間最優秀投手に選出されている。奪三振率が6年ぶりに9.00を下回ったり自己ワーストの63四球を与えたりと、成績が落ちた部分もあるが、フィリーズなどの強打のチームと多く対戦したサンタナの投球内容は、この年のサイ・ヤング賞を受賞したティム・リンスカムよりも内容は上だった、という見方もある[23]。しかしそれでもメッツは前年同様、8月終了時点で地区首位につけていながら9月にフィリーズに逆転され、またもポストシーズン進出を逃した。

シーズン終了後、サンタナは左膝の手術を受けたため、2009年春開催の第2回WBCは辞退した[24]。こうして臨んだMLBレギュラーシーズンでは開幕から好調。史上4人目となる「開幕4試合で防御率0.75以下かつ奪三振36以上」という成績を残し、4月の月間最優秀投手賞を受賞[25]。7月11日のレッズ戦では通算119勝目を挙げ、フレディ・ガルシアが保持していたベネズエラ出身メジャーリーガーの通算勝利数記録を更新した[26]。しかしその後、左肘を痛めたため8月25日に故障者リスト入りして復帰せず、肘の手術を受けた[27]

2010年も2完封を記録するなど好調なシーズンを過ごしていたものの、秋に入ってまたしても左肩を痛め、9月2日の試合を最後に戦線離脱して手術[28]。これでメッツ移籍後3年連続で、故障によって手術を受けることになった。

2011年シーズンはリハビリと静養に費やし、復帰する事はなかった。

2012年に左肩の手術から復活し、5月26日のサンディエゴ・パドレス戦で4安打完封勝利をあげると、続く6月2日のセントルイス・カージナルス戦で5四球を与えたものの9回134球を投げ切り、ノーヒットノーランを達成[29]。6月30日のドジャーズ戦でも8回無失点に抑えるなど完全復活を印象づけたが、7月以降は一転不安定な投球が続き、5試合連続で6失点以上を喫すると、8月22日に腰の炎症を理由に故障者リスト入りしてそのままシーズンを終えた。

2013年は開幕を目前に控えた3月から肩の不調を訴えていたが、3月30日に肩の手術を受けることが発表され、3月31日に15日間の故障者リスト入りし、4月3日に手術を受けた。4月6日に60日間の故障者リストへ異動。同年中の復帰は絶望的となった。11月1日にFAとなった。

メッツ退団後

2014年3月4日にボルチモア・オリオールズとマイナー契約を結んだ[30]。マイナーでの登板がないまま、6月2日にオリオールズとメジャー契約を結び、同日に15日間の故障者リスト入りした[31]。6月9日に60日間の故障者リストへ異動した[32]。このシーズンも登板無くFAとなり、オフにベネズエラのウィンターリーグに参加し実戦復帰を目指すも、登板なしに終わった。

2015年2月26日にトロント・ブルージェイズとマイナー契約を結ぶが、登板なく6月25日に解雇された。

2016年は所属球団なく、オフにベネズエラのウィンターリーグに参加するが、登板なしに終わった。

選手としての特徴

投球フォーム

ノビのある速球(フォーシームツーシーム)やチェンジアップ、スライダーが持ち球である。[33]。ツインズの正捕手としてサンタナの球を受けていたジョー・マウアーは「どれをとっても彼の球種は平均を遥かに上回る」と評している[34]。その中でも軸となるのが、同じ腕の振りから繰り出される速球とチェンジアップの組み合わせである。

速球の平均球速は、サイ・ヤング賞を2度受賞したツインズ時代でも93.5mph(約150.5km/h)とMLB全体の平均と同じ程度だが、チェンジアップの平均球速は77.5mph(約124.7km/h)で、速球との球速差16mph(約25.7km/h)は当時のMLBで一番大きかった[35]。このチェンジアップは2007年、ア・リーグ各球団監督を対象に行われたアンケートでも「リーグで1番のチェンジアップ」に選ばれている[36]ジェイソン・ジアンビは「彼のチェンジアップが厄介なのは、コントロールがいいことだ。ワンバウンドさせてしまうような投げ損じがない。途中まで速球のような軌道で来て、そこから落ちる」と評している[17]。ただ、メッツへ移籍後は球速差が縮まっており、2010年は速球が89.2mph(約143.5km/h)、チェンジアップが79.3mph(約127.6km/h)、その差は9.9mph(約15.9km/h)となっている[37]

2009年からは打線の援護が減り、2年連続で規定投球回到達者中リーグワーストのRS(得点援護率)をマークしている[38][39]

人物

2009年6月16日の試合前、同じベネズエラ出身のメルビン・モーラオリオールズ)とじゃれあう

非常に明るく人懐っこい性格である。先発投手が登板日の試合前にインタビューを受けることは普通は考えられないことであるが、サンタナを取材したSHEILAによると、サンタナはインタビューを受けたり歌を歌ったりと楽しそうにしているという[40]。また、人を和ませるイタズラをすることもある。2005年には、チームメイトのフランシスコ・リリアーノがメジャー初登板で先頭打者ゲイリー・マシューズ・ジュニアに本塁打を打たれると、サンタナは試合終了後、リリアーノのロッカーに「ゲイリー・マシューズより」と書かれたバラバラのボールを置いた。これをきっかけにしてリリアーノはチームに打ち解けることとなり、リリアーノはそのボールを実家に飾ったという[41]

ベネズエラで高校に通っていたときには野球だけでなくサッカーもしていたため[42]、サッカーが好き。2006年のFIFAワールドカップ開催中には、試合前のクラブハウスでワールドカップ中継を観戦していたサンタナがひとりはしゃいでいる姿が目撃されている[41]

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
2000 MIN 30 5 0 0 0 2 3 0 0 .400 398 86.0 102 11 54 0 2 64 5 2 64 62 6.49 1.81
2001 15 4 0 0 0 1 0 0 0 1.000 195 43.2 50 6 16 0 3 28 3 0 25 23 4.74 1.51
2002 27 14 0 0 0 8 6 1 3 .571 452 108.1 84 7 49 0 1 137 15 2 41 36 2.99 1.23
2003 45 18 0 0 0 12 3 0 5 .800 644 158.1 127 17 47 1 3 169 6 2 56 54 3.07 1.10
2004 34 34 1 1 0 20 6 0 0 .769 881 228.0 156 24 54 0 9 265 7 0 70 66 2.61 0.92
2005 33 33 3 2 2 16 7 0 0 .696 910 231.2 180 22 45 1 1 238 8 0 77 74 2.87 0.97
2006 34 34 1 0 0 19 6 0 0 .760 923 233.2 186 24 47 0 4 245 4 1 79 72 2.77 1.00
2007 33 33 1 1 1 15 13 0 0 .536 878 219.0 183 33 52 0 4 235 7 1 88 81 3.33 1.07
2008 NYM 34 34 3 2 1 16 7 0 0 .696 964 234.1 206 23 63 5 4 206 9 2 74 66 2.53 1.15
2009 25 25 0 0 0 13 9 0 0 .591 701 166.2 156 20 46 3 3 146 1 0 67 58 3.13 1.21
2010 29 29 4 2 0 11 9 0 0 .550 817 199.0 179 16 55 2 2 144 2 2 67 66 2.98 1.18
2012 21 21 2 2 1 6 9 0 0 .400 499 117.0 117 17 39 1 0 111 1 0 65 63 4.85 1.33
MLB:12年 360 284 15 10 5 139 78 1 8 .641 8262 2025.2 1726 220 567 13 36 1988 68 12 773 721 3.20 1.13
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル

  • 最多勝利:1回(2006年)
  • 最優秀防御率:3回(2004年、2006年、2008年)
  • 最多奪三振:3回(2004年 - 2006年)

表彰

記録

代表歴

脚注

  1. ^ Mike Bauman, "Yanks wait for the best to show their best / Unmatched pounding of Santana proves club's potential," MLB.com, June 14, 2009. 2009年10月18日閲覧。
  2. ^ a b 李啓充 「ヨハン・サンタナ移籍 「売り時」を見誤ったツインズ新任GM」 『Number Web』、2008年2月6日。2009年10月18日閲覧。
  3. ^ 過去の4選手はサンディー・コーファックスグレッグ・マダックスロジャー・クレメンスペドロ・マルティネス
  4. ^ Jayson Stark, "Summit could be just the start for Santana," ESPN.com, March 15, 2005. 2009年10月18日閲覧。
  5. ^ a b c d e Mel Antonen, USA TODAY, "Santana leaves 'em fanning," USATODAY.com, July 26, 2004. 2009年10月18日閲覧。
  6. ^ a b c d e SLUGGER 「ツインズが育てた無名の奪三振王 ヨハン・サンタナ」 『月刊スラッガー』2004年11月号、日本スポーツ企画出版社、2004年、雑誌15509-11、26-29頁。
  7. ^ a b c d Jack Curry, "Scout Listens to His Instincts, Not to His Boss, and Uncovers a Star," New York Times, January 31, 2008. 2009年10月18日閲覧。
  8. ^ Ben Badler, "DSL Prospects: Projecting Pitchers," BaseballAmerica.com, March 26, 2009. 2009年11月17日閲覧。
  9. ^ 友成那智、村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2008』廣済堂出版、2008年、147頁。ISBN 978-4-331-51300-2。 
  10. ^ "Minnesota Twins Pitching Leaders," Baseball-Reference.com. 2008年1月8日閲覧。
  11. ^ 友成那智、村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2005』廣済堂出版、2005年、96頁。ISBN 978-4-331-51093-3。 
  12. ^ "Oct 9, 2004, Yankees at Twins Box Score and Play by Play," Baseball-Reference.com. 2008年9月21日閲覧。
  13. ^ "Johan Santana from the Chronology," BaseballLibrary.com. 2008年9月21日閲覧。
  14. ^ "Baseball Awards Voting for 2005," Baseball-Reference.com. 2008年1月8日閲覧。
  15. ^ 2006 Tournament Roster[リンク切れ] The official site of World Baseball Classic (英語) 2016年3月3日閲覧 [リンク切れ]
  16. ^ 友成那智、村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2007』廣済堂出版、2007年、110頁。ISBN 978-4-331-51213-5。 
  17. ^ a b Jack Curry, "Santana’s Changeup: Hitters Never See It Coming," New York Times, March 3, 2008. 2009年11月17日閲覧。
  18. ^ Kelly Thesier / MLB.com, "Start possibly Santana's last with Twins / Organization's decision regarding ace left-hander unclear," MLB.com, September 27, 2007. 2010年9月23日閲覧。
  19. ^ Kelly Thesier / MLB.com, "Santana fans 17 Rangers in finale / Twins ace sets club strikeout record in eight shutout innings," MLB.com, August 19, 2007. 2010年9月23日閲覧。
  20. ^ Associated Press, "Mets and LHP Johan Santana agree to $137.5 million, 6-year contract," ESPN.com, February 2, 2008. 2008年2月2日閲覧。
  21. ^ 杉浦大介 「サンタナがメッツにもたらすもの」 『月刊スラッガー』2008年5月号、日本スポーツ企画出版社、2008年、雑誌15509-5、22-25頁。
  22. ^ [1]鉄矢多美子『Field of Dreams』、2008年10月10日.。
  23. ^ 出野哲也 「ナ・リーグサイ・ヤング賞その他の候補」 『月刊スラッガー』2008年12月号、日本スポーツ企画出版社、2008年、雑誌15509-12、25頁。
  24. ^ Marty Noble / MLB.com, "Mets didn't keep Johan out of Classic," mets.com, February 14, 2009. 2010年9月23日閲覧。
  25. ^ "Johan Santana named NL Pitcher of the Month for April," mets.com, May 5, 2009. 2010年9月23日閲覧。
  26. ^ ESPN.com news services, "Newly acquired Francoeur backs Santana as Mets shut out Reds," ESPN.com, July 11, 2009. 2010年9月23日閲覧。
  27. ^ Associated Press, "Santana, Putz both out for season," ESPN.com, August 25, 2009. 2010年9月23日閲覧。
  28. ^ Anthony DiComo / MLB.com, "Mets deem Santana's surgery successful," mets.com, September 14, 2010. 2010年9月23日閲覧。
  29. ^ CNN.co.jp メッツのサンタナ投手が球団初のノーヒット・ノーラン
  30. ^ “Orioles Sign Free Agent Lhp Johan Santana To A Minor League Contract With An Invitation To Spring Training”. MLB.com Orioles Press Release (2014年3月4日). 2014年3月5日閲覧。
  31. ^ “Orioles select contract of LHP Johan Santana and place him on the 15-day disabled list”. MLB.com Orioles Press Release (2014年6月2日). 2014年7月19日閲覧。
  32. ^ “Orioles Select Contract Of RHP Josh Stinson From Triple-A Norfolk; RHP Brad Brach Optioned To Triple-A Norfolk”. MLB.com Orioles Press Release (2014年6月9日). 2014年7月19日閲覧。
  33. ^ “Player Card: Johan Santana”. Brooks Baseball. 2015年7月15日閲覧。
  34. ^ 阿部寛子 「最強左腕の静かな情熱 ヨハン・サンタナ」 『月刊スラッガー』2007年1月号、日本スポーツ企画出版社、2006年、雑誌15509-1、48-51頁。
  35. ^ 「解析データ&打者の証言 最強左腕サンタナの攻略法を探せ!」 『月刊スラッガー』2007年7月号、日本スポーツ企画出版社、2007年、雑誌15509-7、16-18頁。
  36. ^ Baseball America Staff, "American League Best Tools," BaseballAmerica.com, August 1, 2007. 2008年2月6日閲覧。
  37. ^ Michael Salfino / SNY.tv, "Changeup, not fastball, hurting Santana / Smaller difference in velocity affecting lefty's performance," SNY.tv, June 22, 2010. 2010年9月23日閲覧。
  38. ^ ESPN MLB Player Pitching Stats - 2009
  39. ^ ESPN MLB Player Pitching Stats - 2010
  40. ^ 「男がほれる男、大投手サンタナの魅力 SHEILAの「キャッチ・ザ・ハート」第5回」 『スポーツナビ』、2006年11月28日。2008年5月20日閲覧。
  41. ^ a b 阿部寛子 「ヨハン・サンタナ&フランシスコ・リリアーノ[ツインズ]黄金の左腕デュオ」 『月刊スラッガー』2006年10月号、日本スポーツ企画出版社、2006年、雑誌15509-10、32-35頁。
  42. ^ "Biography and Career Highlights," The Official Site of The New York Mets. 2008年5月20日閲覧。

関連項目

外部リンク

ウィキメディア・コモンズには、ヨハン・サンタナに関連するカテゴリがあります。
  • 選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)
  • Johan Santana stats MiLB.com (英語)
  • El Gocho believe it! (@johansantana) - X(旧Twitter)
 
業績
1956年-1966年
1967年-1969年
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
1966年まではナショナルリーグと合わせて1人だけ選出。このテンプレートではアメリカンリーグの選手のみを表記。
アメリカンリーグ最優秀防御率
1900年代
1910年代
1920年代
1930年代
1940年代
1950年代
1960年代
  • 60 フランク・バウマン(英語版)
  • 61 ディック・ドノバン(英語版)
  • 62 ハンク・アギーレ(英語版)
  • 63 ゲイリー・ピーターズ(英語版)
  • 64 ディーン・チャンス
  • 65 サム・マクダウェル
  • 66 ゲイリー・ピーターズ(英語版)
  • 67 ジョー・ホーレン(英語版)
  • 68 ルイス・ティアント
  • 69 ディック・ボスマン(英語版)
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
ナショナルリーグ最優秀防御率
1870年代
1880年代
1890年代
1900年代
1910年代
1920年代
1930年代
1940年代
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
アメリカンリーグ最多勝投手
1900年代
1910年代
1920年代
1930年代
1940年代
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
アメリカンリーグ最多奪三振
1900年代
1910年代
1920年代
1930年代
1940年代
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
  • 捕手
  • 一塁手
  • 二塁手
  • 三塁手
  • 遊撃手
  • 外野手
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
 
開幕投手
ミネソタ・ツインズ開幕投手
1900年代
  • 01 ビル・ギャリック
  • 02 アル・オース
  • 03 アル・オース
  • 04 ハイボール・ウィルソン
  • 05 ケイシー・パットン
  • 06 トム・ヒューズ
  • 07 トム・ヒューズ
  • 08 チャーリー・スミス
  • 09 チャーリー・スミス
1910年代
1920年代
1930年代
  • 30 ファーポ・マーベリー
  • 31 ロイド・ブラウン
  • 32 アルバン・クラウダー
  • 33 アルバン・クラウダー
  • 34 アール・ホワイトヒル
  • 35 アール・ホワイトヒル
  • 36 ボボ・ニューサム
  • 37 ジョー・カスカレラ
  • 38 ウェス・フェレル
  • 39 ジミー・デション
1940年代
  • 40 ダッチ・レナード
  • 41 ダッチ・レナード
  • 42 シド・ハドソン
  • 43 ダッチ・レナード
  • 44 ジョニー・ナイジェリング
  • 45 ダッチ・レナード
  • 46 ロジャー・ウルフ
  • 47 アーリー・ウィン
  • 48 アーリー・ウィン
  • 49 レイ・スカボロー
1950年代
  • 50 レイ・スカボロー
  • 51 コンラッド・マレーロ
  • 52 ボブ・ポーターフィールド
  • 53 ボブ・ポーターフィールド
  • 54 チャック・ストッブス
  • 55 ボブ・ポーターフィールド
  • 56 カミロ・パスカル
  • 57 ボブ・チャカレス
  • 58 ペドロ・ラモス
  • 59 ペドロ・ラモス
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
ニューヨーク・メッツ開幕投手
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
ミネソタ・ツインズ
球団
歴代本拠地
文化
永久欠番
ツインズ球団殿堂
ワールドシリーズ優勝(3回)
ワールドシリーズ敗退(3回)
リーグ優勝(6回)
傘下マイナーチーム
ベネズエラの旗 野球ベネズエラ代表 - 2006 ワールド・ベースボール・クラシック
監督
コーチ
投手
捕手
内野手
外野手