メル・オット

メル・オット
Mel Ott
Goudey社のベースボールカード(1933年)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 ルイジアナ州
生年月日 1909年3月2日
没年月日 (1958-11-21) 1958年11月21日(49歳没)
身長
体重
5' 9" =約175.3 cm
170 lb =約77.1 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 外野手
プロ入り 1926年
初出場 1926年4月27日
最終出場 1947年7月11日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
アメリカ野球殿堂
殿堂表彰者
選出年 1951年
得票率 87.17%
選出方法 全米野球担当記者協会選出
この表について
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プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

メルビン・トーマス・オットMelvin Thomas Ott, 1909年3月2日 - 1958年11月21日)は、アメリカ合衆国ルイジアナ州グレツナ出身のプロ野球選手右翼手)。右投げ左打ち。

ニックネームは、"Master Melvin"(マスター・メルビン)。17歳でニューヨークジャイアンツでメジャーデビューし、6度の本塁打王になるなど通算511本塁打を放った[1]。また名門ジャイアンツ一筋22年、一本足打法で左打者のホームランバッターである事、通算試合数や安打数など含めて多くの点で日本の王貞治と類似を指摘されている[2]

現役時代

1902年、ニューオーリンズ郊外のルイジアナ州グレトナで生まれる。父チャールズは野球のセミプロ選手で、メルビンは野球を見て育った。学生時代は主にキャッチャーとしてプレーしていた。

16歳の時にサザン・アソシエーションのニューオーリンズ・ペリカンズの入団テストを受けたが、体が小さいことを理由に不合格。その後、ルイジアナ州パターソンのセミプロチームに月給150ドルで入団[3]。その後、球団オーナーのハリー・ウィリアムズが、友人のジョン・マグロー(当時ニューヨーク・ジャイアンツ監督)へ「すごいタマを見つけた」という電報を打った[3]

マグローの返事は、「そのタマをすぐにポロ・グラウンズへ送られたし」だった[3]。捕手としてテストを受けたオットだったが、マグロ―監督は捕手として危ういキャッチング能力に疑問を持ったが、打撃に関しては非凡なものを見せ、1926年1月にニューヨーク・ジャイアンツと17歳で契約し入団。すぐに外野手に転向して異例の若さでデビューした彼は、「ボーイ・ワンダー」としてファンの目を引く存在になる。5フィート9インチ(約175cm)、170ポンド(約77kg)と、さほど恵まれていない体格だったが、3年目の1928年には、18本塁打、打率.322をあげ、長距離打者としての真価を発揮し始める。

『Play Ball』ベースボールカードのオット(1940年)

オットはその後、日本で言う「一本足打法」(投球前から足を上げて構えるスタイル)で本塁打を量産、1929年に自己最高の42本塁打を打ったのを皮切りに、1932年には初の本塁打王を獲得し、以降1936年 - 1938年の3年連続を含む、6回の本塁打王に輝いた。また選球眼もよく、本塁打を量産する傍ら三振の数が少なく、リーグ最高出塁率を記録したことが4度、四球数がリーグ最多となったのが6度ある。1936年以降は、シーズン100四球以上を7年連続で記録していた。

ワールドシリーズには3度出場。特に1933年のシリーズは2本の本塁打を打つなど1戦目から打撃が冴えわたりチームの世界一に貢献した。

1945年、ナショナルリーグの打者としては初めて500本塁打を達成し、1947年に現役を引退。

1942年からはジャイアンツの監督を兼任していたが、お人よしと言われたその采配ではチームは浮上せず、監督専任になった1948年途中で解任され、レオ・ドローチャーに交代させられた[4]

引退後

オットの背番号「4」。
ニューヨーク・ジャイアンツの永久欠番1949年指定。

ジャイアンツの監督を退任したその翌1949年に、オットの背番号4』が、ジャイアンツの永久欠番に指定されている。

1951年、記者投票によりアメリカ野球殿堂入り選手に選出された。その後は、1955年から1958年まで、主にデトロイト・タイガースの試合中継のアナウンサー・解説者として活動していた。1958年、ルイジアナ州ニューオーリンズにて交通事故死。49歳。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1926 NYG 35 61 60 7 23 2 0 0 25 4 1 -- 0 -- 1 -- 0 9 -- .383 .393 .417 .810
1927 82 180 163 23 46 7 3 1 62 19 2 -- 4 -- 13 -- 0 9 -- .282 .335 .380 .716
1928 124 499 435 69 140 26 4 18 228 77 3 -- 10 -- 52 -- 2 36 -- .322 .397 .524 .921
1929 150 674 545 138 179 37 2 42 346 151 6 -- 10 -- 113 -- 6 38 -- .328 .449 .635 1.084
1930 148 646 521 122 182 34 5 25 301 119 9 -- 20 -- 103 -- 2 35 -- .349 .458 .578 1.036
1931 138 580 497 104 145 23 8 29 271 115 10 -- 1 -- 80 -- 2 44 -- .292 .392 .545 .937
1932 154 673 566 119 180 30 8 38 340 123 6 -- 3 -- 100 -- 4 39 -- .318 .424 .601 1.025
1933 152 661 580 98 164 36 1 23 271 103 1 -- 4 -- 75 -- 2 48 10 .283 .367 .467 .834
1934 153 671 582 119 190 29 10 35 344 135 0 -- 1 -- 85 -- 3 43 10 .326 .415 .591 1.006
1935 152 683 593 113 191 33 6 31 329 114 7 -- 5 -- 82 -- 3 58 4 .322 .407 .555 .962
1936 150 660 534 120 175 28 6 33 314 135 6 -- 10 -- 111 -- 5 41 8 .328 .448 .588 1.036
1937 151 654 545 99 160 28 2 31 285 95 7 -- 4 -- 102 -- 3 69 4 .294 .408 .523 .931
1938 150 652 527 116 164 23 6 36 307 116 2 -- 2 -- 118 -- 5 47 8 .311 .442 .583 1.024
1939 125 508 396 85 122 23 2 27 230 80 2 -- 11 -- 100 -- 1 50 5 .308 .449 .581 1.030
1940 151 647 536 89 155 27 3 19 245 79 6 -- 5 -- 100 -- 6 50 9 .289 .407 .457 .864
1941 148 634 525 89 150 29 0 27 260 90 5 -- 6 -- 100 -- 3 68 2 .286 .403 .495 .898
1942 152 664 549 118 162 21 0 30 165 93 6 -- 3 -- 109 -- 3 61 8 .295 .415 .497 .912
1943 125 482 380 65 89 12 2 18 159 47 7 -- 4 -- 95 -- 3 48 4 .234 .391 .418 .810
1944 120 494 399 91 115 16 4 26 217 82 2 -- 2 -- 90 -- 3 47 3 .288 .423 .544 .967
1945 135 532 451 73 139 23 0 21 225 79 1 -- 2 -- 71 -- 8 41 6 .308 .411 .499 .910
1946 31 78 68 2 5 1 0 1 9 4 0 -- 2 -- 8 -- 0 15 1 .074 .171 .132 .303
1947 4 4 0 0 0 0 0 0 0 0 0 -- 0 -- 0 -- 0 0 0 .000 .000 .000 .000
通算:22年 2730 11337 9456 1859 2876 488 72 511 5041 1860 89 -- 109 -- 1708 -- 64 896 82 .304 .414 .533 .947
  • 各年度の太字はリーグ最高

獲得タイトル

  • 本塁打王:6回 (1932年、1934年、1936年 - 1938年、1942年)(6回は歴代4位タイ)
  • 打点王:1回 (1934年)

表彰

記録

  • サンフランシスコ・ジャイアンツ球団記録
    • 球団歴代1位
      • 通算打点 1860
      • 通算出塁 4648
      • シーズン打点 151:1929年
      • 実働22年
    • 球団歴代2位
      • 通算出塁率 .414
      • 通算試合 2730
      • 通算打席 11348
      • 通算打数 9456
      • 通算得点 1859
      • 通算安打 2876
      • 通算塁打 5041
      • 通算単打 1805
      • 通算二塁打 488
      • 通算四球 1708
      • 通算長打 1071
    • 球団歴代3位
      • 通算OPS .947
      • 通算本塁打 511
      • シーズン得点 138:1929年

監督としての戦績

脚注

  1. ^ 1947年の引退時ではベーブ・ルースの714本、ジミー・フォックスの534本に次いで史上3位。ナショナル・リーグでは史上1位であった。
  2. ^ 「オールタイム大リーグ名選手101人」日本スポーツ出版社、1997年、166 - 167頁
  3. ^ a b c 芝山幹郎 「誇り高き歴史を築いた男たち メル・オット」『月刊メジャー・リーグ』 2000年7月号、ベースボールマガジン社、2000年、雑誌 08625-7、74 - 75頁。
  4. ^ ドローチャーはオットとは対照的に、非常に強気な人物として知られ、後に自伝で「お人好しで野球が勝てるか」と暗にオットのような采配を批判している。

関連項目

外部リンク

  • Baseballhalloffame.org(英語)アメリカ野球殿堂National Baseball Hall of Fame)による紹介
  • 選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)
  • 監督の通算成績と情報 Baseball-reference.com
  • 年度別成績 (Retrosheet)
 
獲得タイトル・記録
ナショナルリーグ本塁打王
1870年代
1880年代
1890年代
1900年代
  • 00 ハーマン・ロング(英語版)
  • 01 サム・クロフォード
  • 02 トミー・リーチ(英語版)
  • 03 ジミー・シェッカード
  • 04 ハリー・ラムリー(英語版)
  • 05 フレッド・オドウェル(英語版)
  • 06 ティム・ジョーダン(英語版)
  • 07 デーブ・ブレイン(英語版)
  • 08 ティム・ジョーダン(英語版)
  • 09 レッド・マレー(英語版)
1910年代
1920年代
1930年代
1940年代
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
ナショナルリーグ打点王
1870年代
1880年代
1890年代
1900年代
1910年代
1920年代
1930年代
1940年代
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代

太字は現役選手

サンフランシスコ・ジャイアンツ
球団
歴代本拠地
文化
永久欠番
ジャイアンツ球団殿堂
ワールドシリーズ優勝(08回)
ワールドシリーズ敗退(12回)
リーグ優勝(23回)
できごと
傘下マイナーチーム
サンフランシスコ・ジャイアンツ歴代監督
ニューヨーク・ジャイアンツ 1933年のワールドシリーズ ロースター

1 ジョジョ・ムーア / 2 キッドゥ・デービス / 3 ビル・テリー / 4 メル・オット / 5 トラビス・ジャクソン / 6 ヒューイー・クリッツ / 8 ガス・マンキューソー / 11 カール・ハッベル / 12 フレディ・フィッツシモンズ / 15 ハイ・ベル / 16 レフティ・オドール / 17 ハル・シューマッハー / 20 ドルフ・ルケ / 23 ブロンディ・ライアン / 26 ホーマー・ピール
監督 3 ビル・テリー

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その他
  • SNAC