バラ・オロナウルタイ

バラ・オロナウルタイ(モンゴル語: Bala Oronaurtai,中国語: 巴剌斡羅納児台,? - ?)とは、13世紀初頭にモンゴル帝国に仕えたオロナウル部出身の千人隊長。『元朝秘史』などの漢文史料では巴剌斡羅納児台(bālàwòluónàértái)と記される。

概要

『元朝秘史』によると、1206年のモンゴル帝国建国時に千人隊長に任ぜられており、功臣表では35位に列せられている。

また、同じ千人隊長にはバラ・チェルビという同名の人物もおり、「オロナウルタイ」という名前はこのバラ・チェルビと区別するためにつけられたものとみられる。

バラ・オロナウルタイの事蹟についてはほとんど知られていないが、「元統癸酉進士録」には山東濮州の万人隊長買閭の祖先が「オロナウル人の八郎(バラ)」で、「千戸(千人隊長)であった」と記されており、この「八郎」こそがバラ・オロナウルタイのことであると考えられている[1]

脚注

  1. ^ 村上1970,370-371頁

参考文献

  • 志茂碩敏『モンゴル帝国史研究 正篇』東京大学出版会、2013年
  • 村上正二訳注『モンゴル秘史 2巻』平凡社、1972年
大中軍
:105
首千戸(1)
右翼(38)
左翼(62)
コルゲン家(4)
  • クビライ(バルラス1)
  • トグリル(ネグス1)
  • 佚名(不明1)
  • 佚名(不明1)
  • ※コルゲン家はチンギス・カンの晩年に成立
右翼
:12
ジョチ家(4)
チャガタイ家(4)
オゴデイ家(4)
左翼
:12
カサル家(1)
カチウン家(3)
オッチギン家(5+3)
所属
不明
  • 太字四駿四狗 / 1 1206年以降に任命された人物で、『元朝秘史』では千人隊長に数えられない