デヴァ

曖昧さ回避 この項目では、ルーマニアの都市について説明しています。インドの神々については「デーヴァ」をご覧ください。
デヴァ
Deva
デヴァの市章
市章
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デヴァ位置の位置図
デヴァ位置
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デヴァ (ルーマニア)
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デヴァの位置(ヨーロッパ内)
デヴァ
デヴァ
デヴァ (ヨーロッパ)
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座標 : 北緯45度52分41秒 東経22度54分52秒 / 北緯45.87806度 東経22.91444度 / 45.87806; 22.91444
行政
 ルーマニア
  フネドアラ県
 市 デヴァ
市長 ミルチャ・ムンテアヌ
人口
人口 (2002年現在)
  市域 80,000人
その他
等時帯 東ヨーロッパ時間 (UTC+2)
夏時間 東ヨーロッパ夏時間 (UTC+3)
公式ウェブサイト : http://www.primariadeva.ro/

デヴァルーマニア語: Devaドイツ語: Diemrich, ハンガリー語: Déva)は、ルーマニアトランシルヴァニア地方の都市で、フネドアラ県の県都である。

ムレシュ川中流左岸に位置する。古代にはダキア人の要塞が置かれ、デキダウァ(Decidava)と呼ばれていた。

市名

デヴァという市名は、要塞を意味する古い言葉 dava から生じたとみなされている。その他の説は、ローマ軍団第2軍団アウグスタの名に遡って調べられる。ブリテン島にあったカストルム・デウァ/デウァ・ウィクトリクス(Deva Victrix、現在のチェスター)からデヴァの名が移ったのだという。中世の地図上では、デヴァは DevaDewan、ドイツ語のディームリヒの名で記載されている。

歴史

デヴァの存在が初めて歴史上に現れたのは1269年である。ヴォイヴォドであるフニャディ・ヤーノシュ(ルーマニア語名:ヨアン・デ・フネドアラ)の支配下で、デヴァは重要な軍事・行政中心地となった。1550年オスマン帝国侵攻で一部が破壊されたが、後に再建されて要塞が拡張された。1621年トランシルヴァニア公ベトレン・ガーボル が首都を移し、マグナ・クリア宮殿(ベトレン城として知られる)をルネサンス様式で拡張した。デヴァの紋章は古代ハンガリーまたはセーケイ人のシンボルである、月と太陽を採用している。

経済

鉱業、建設資材製造、発電所がデヴァの経済を支えている。

教育

経済・観光の私立大学が1990年に開学した。ティミショアラクルージュ=ナポカの研究センターも、デヴァに分校を開いた。デヴァには、ルーマニア国立女子体操センターの本部、チェタテ・デヴァ(Cetate Deva)がある。またその付属施設として、国立の体操学校(「ナディア・コマネチ国立体操学院)があり、そこからシモナ・アマナールら多くのスター選手が育っている。

観光

デヴァには、自然保護区となっている砦の丘がある。希少種の植物やヘビが生息している。丘の頂上には、13世紀につくられたデヴァ砦の遺跡がある。

出身著名人

姉妹都市

ギャラリー

  • デヴァ砦から見た町並み
    デヴァ砦から見た町並み
  • デヴァ砦の遺跡
    デヴァ砦の遺跡
  • 砦の遺跡内部
    砦の遺跡内部
  • マグナ・クリア宮殿
    マグナ・クリア宮殿

脚注

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関連項目

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