デコイNo22

デコイNo22は、1991年から2006年にかけてアホウドリ増殖事業の一環として伊豆諸島の鳥島(東京都)の初寝崎に設置された雌のアホウドリの模型デコイ)の1つ。バードカービングの第一人者である内山春雄が木型を作り、京都の西尾製作所で作成された[1][2]

1997年ごろから、特定の雄アホウドリがこのデコイに対して9年間愛の巣作りと求愛ダンスを繰り返していたことで知られる。発見当時4歳くらいの若鳥だったこの個体は、デコイに求愛していたことから「デコちゃん」と名付けられた[2][3]。デコちゃんは、抜け落ちた羽根のDNA鑑定から、鳥島生まれではなく、尖閣諸島生まれの個体であることが分かっている[4][5]

雌のアホウドリのデコイは他にも92体存在したが、デコちゃんが選ぶのは常にデコイNo22だった[3]。また、別の雄アホウドリがデコイNo22に近付いて求愛ダンスをしたときには威嚇することもあったという[3]。デコイによる新繁殖地形成事業が2005年度で終わったため、2006年春ですべてのデコイの設置を中止することになり、同年5月にデコイNo22を含むデコイが撤去された[1][2]。アホウドリは一夫一婦制で、一度つがいになると死ぬまで相手を替えないため、「連れ合い」を失ったデコちゃんが今後どのような行動を取るのか、興味がもたれた[要出典]

2006年11月から12月に行われた繁殖状況調査にてデコちゃんが雌アホウドリとつがいになっているのが確認された。その様子は2007年4月19日「午後は○○おもいッきりテレビ」にて放送された。その後、そのメスとの間でツガイ形成、ヒナ誕生、給餌行動等が確認された(2008年2月)。[要出典]

2013年の時点では、デコちゃんは雌アホウドリと順調に繁殖を続けていることが明かされている[6]

鳥島に設置されていたデコイの一部は、2008年から小笠原群島の聟島で始まったアホウドリのコロニー誘導事業で再利用されるなど[7]、引き続きアホウドリ保護活動に利用されている[1] が、デコイNo22 は鳥島から回収されたのち、2021年より高知県香南市の香我美市民館に展示されている[8]

脚注

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  1. ^ a b c アホウドリ 復活への展望 鳥島デコイ作戦山階鳥類研究所、2019年7月2日閲覧。
  2. ^ a b c アホウドリ展-復活への挑戦- パネル集pp.43,46、我孫子市鳥の博物館、2019年7月2日閲覧。
  3. ^ a b c アホウドリ:東京・伊豆諸島の「デコちゃん」、好きな模型に9年間も求愛 /千葉 - ウェブアーカイブウェイバックマシン、2006年2月8日)
  4. ^ アホウドリ 復活への展望 アホウドリは1種? 2種?山階鳥類研究所、2019年7月2日閲覧。
  5. ^ 江田真毅, 小池裕子, 佐藤文男, 樋口広芳「鳥島で観察される未標識アホウドリ・デコちゃんの遺伝的プロファイルとそのアホウドリの集団構造における意味合い」『山階鳥類学雑誌』 43巻 1号 2011年 p.57-64, doi:10.3312/jyio.43.57
  6. ^ 1月のテーマトークは「デコイに恋したアホウドリ 鳥島のデコちゃんのルーツ解明される」(1月12日(土))です 山階鳥類研究所広報ブログ、2013年1月10日、2019年7月2日閲覧。
  7. ^ 雑誌「生物の科学遺伝」寄稿「アホウドリの移住計画」(2017年7月発行Vol.71 No.4/山階鳥研 出口智広 保全研究室長山階鳥類研究所、2019年7月2日閲覧。
  8. ^ 山階鳥研ニュース2022年1月号 「無人島長平」とアホウドリ、2024年2月23日閲覧。