シプリアン・ンタリャミラ

シプリアン・ンタリャミラ
Cyprien Ntaryamira

シプリアン・ンタリャミラ(1993年撮影)

任期 1994年2月5日1994年4月6日
首相 アナトール・カニェンキコ(英語版)

出生 1955年3月6日
ベルギーの旗 ルアンダ=ウルンディ ブジュンブラ近郊県
死去 (1994-04-06) 1994年4月6日(39歳没)
ルワンダ キガリ
政党 ブルンジ労働者党(英語版)
(1979年 - 1986年)
ブルンジ民主戦線
(1986年 - 1994年)
出身校 ルワンダ国立大学
配偶者 シルヴァーナ・ムパブワナヨ

シプリアン・ンタリャミラルンディ語: Cyprien Ntaryamira, 1955年3月6日 - 1994年4月6日)は、ブルンジ政治家大統領1994年2月5日 - 4月6日)。フツ

人物

ベルギーの国連信託統治ルアンダ=ウルンディブジュンブラ近郊県のムビンビ・コミューンのマゲヨ地区で生まれ、小学校を卒業後、1972年のフツの反乱後の虐殺時にルワンダに逃れた。1982年キガリルワンダ国立大学農学を修めた。この頃社会主義運動に参加し、翌年ブルンジに戻った。

農業関係の職に就いたがジャン=バティスト・バガザ政権時の1985年には一時政治犯とされた。1986年8月、ブルンジ民主戦線 (FRODEBU) の創設メンバーとして経済政策部長となる。バガサに代わったピエール・ブヨヤ1993年6月1日の選挙で少数派のツチ及び国民進歩連合 (UPRONA) からFRODEBUが政権を獲得し、国民統一政権として、メルシオル・ンダダイエがブルンジ初のフツ出身大統領となり、ツチでUPRONAのシルヴィ・キニギを首相とし、ンタリャミラは農業相に就任した。

ところが1993年10月にンダダイエ大統領がンゲゼ元内相らに暗殺され、ブルンジ内戦(英語版)1993年 - 2008年)が再発した。軍による事態収拾後、国民議会によりFRODEBU-UPRONA 統一政権としてFRODEBU党員のンタリャミラが翌年2月に大統領に就任し、UPRONAのアナトール・カニェンキコを首相に任命した。だが大統領就任からわずか2ヶ月後、搭乗していた航空機が撃墜され隣国ルワンダのジュベナール・ハビャリマナ大統領と共に死亡した。後任の大統領代行には国民議会議長のシルヴェストル・ンティバントゥンガニャが選ばれた。

関連項目

参考文献

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