シナリ・ラトゥ

シナリ ラトゥ
生年月日 (1965-08-22) 1965年8月22日(58歳)
出身地 トンガの旗 トンガ
大学 大東文化大学
愛称 ビル
ラグビーユニオンでの経歴
ポジション ナンバーエイト、フランカー
アマチュア経歴
チーム 出場 (得点)
大東文化大学 ()
シニア経歴
チーム 出場 (得点)
三洋電機 ()
代表
チーム 出場 (得点)
トンガの旗トンガ
 日本
?
32
更新日:  2015年9月
コーチ歴
チーム
大東文化大学

シナリ・ラトゥSinali Latu, 1965年8月22日 - )は、トンガ生まれの元ラグビー選手。日本、トンガの2カ国で代表を経験した。日本代表でのキャップ数は32。NPO法人日本トンガ友好協会代表。日本に帰化後の本名はラトゥ ウィリアム志南利(ラトゥ ウィリアムしなり)。

プロフィール

経歴

1965年、6人兄弟の長男として生まれる。12歳からラグビーを始める。出身地・トンガの高校時代のポジションはセンターで、トンガ代表にも選出され代表キャップも獲得した。

1985年に来日して大東文化大学に留学、同校の2度の大学選手権優勝に貢献した。

彼のパワフルなプレーは非常にインパクトが強く社会的に話題となったほか、同校先輩のホポイ・タイオネ、ノフォムリ・タウモエフォラウに続いて日本ラグビーの発展に貢献。また他校や社会人チームの外国人選手の補強に大きく道を開くこととなった。

卒業後三洋電機に入社。同社ラグビー部の自由の象徴、重量級フォワードの核として活躍し、主将も務めた。

日本代表には大学在学中から選ばれ、フォワードの要として君臨、初めてスコットランド代表を破った試合でも試合の流れを引き寄せる劇的なタックルを極めるなど、攻守にわたって活躍した。W杯にも1987年の第1回大会から3回連続して出場。

その後帰化したのち結婚。三洋電機ラグビー部コーチを要請され現役引退。

2002年大東文化大学ラグビー部監督に就任。2008年度まで7年間指揮を執った。

2013年、大東文化大学ラグビー部アドバイザーに就任。

2021年5月、NPO法人 日本トンガ友好協会を発足し、代表となる。同年10月、パナソニックを56歳で早期退職[1]

2022年6月、ジャパンラグビーチャリティーマッチ2022で、トンガ出身またはトンガにルーツを持つ選手から構成されたチームTONGA SAMURAI XVの監督を務めた[2]

出典

  1. ^ “元日本代表ラトゥさんがNPO法人設立。「トンガ出身選手のサポートを」 | ラグビーリパブリック” (2022年2月12日). 2022年6月11日閲覧。
  2. ^ 6月にトンガ復興支援チャリティーマッチ開催 エマージングブロッサムズ対トンガサムライXV . ラグビー共和国(2022年2月28日). 2022年4月27日閲覧。

関連項目

外部リンク

  • NPO法人 日本トンガ友好協会
  • 2019 ALL FOR JAPAN TEAM
  • ラトゥ ウィリアム 志南利 大東文化大学ラグビー部
日本の旗 歴代ラグビー日本代表キャップ保持者【FW:フロントロー以外篇:224名】
1930年代 (17名)
  • 三島実
  • 知葉友雄
  • 吉沢秀雄
  • 和田志良
  • 清水精三
  • 大野信次
  • 岡田由男
  • 都志悌二
  • 足立卓夫
  • 真野喜平
  • 米華真四郎
  • 田治正浩
  • 田川博
  • 伊藤英夫
  • 山口和夫
  • 鍋加弘之
  • 山本春樹
1950年代 (25名)
  • 田中昭
  • 橋本晋一
  • 藤井厚
  • 高橋勇作
  • 広畠登
  • 竹谷武
  • 土屋俊明
  • 大和貞
  • 北島輝夫
  • 原田秀雄
  • 梅井良治
  • 松重正明
  • 真野克宏
  • 柴田孝
  • 山崎靖彦
  • 須藤孝
  • 小原隆一
  • 片倉胖
  • 尾崎政雄
  • 田中聖二
  • 大塚謙次
  • 宮島欽一
  • 冨永栄喜
  • 龍野和久
  • 山田敬介
1960年代 (13名)
1970年代 (20名)
1980年代 (24名)
1990年代 (27名)
2000年代 (44名)
2010年代 (43名)
2020年代 (11名)
  • プロップ
  • フッカー
  • FWフロントロー以外
  • スクラムハーフ
  • BK9番以外
 
日本の旗 ラグビー日本代表 - 出場大会
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