アントワーヌ・ギュメ

アントワーヌ・ギユメ
Antoine Guillemet


fr
1900年頃の写真。
本名 ジャン=バティスト=アントワーヌ・ギユメ
Jean-Baptiste-Antoine Guillemet
誕生日 (1843-06-30) 1843年6月30日
出生地 フランスの旗 フランス王国 オワーズ県シャンティイ
死没年 (1918-05-19) 1918年5月19日(74歳没)
死没地 フランスの旗 フランス共和国 ドルドーニュ県マレイユ(英語版)
国籍 フランスの旗 フランス
運動・動向 写実主義印象派
芸術分野 絵画(風景画)
受賞 レジオンドヌール勲章(コマンドゥール)
影響を受けた
芸術家
ジャン=バティスト・カミーユ・コローシャルル=フランソワ・ドービニーギュスターヴ・クールベ
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アントワーヌ・ギユメAntoine Guillemet, 1843年6月30日 - 1918年5月19日)は、フランスの風景画家。

生涯

アントワーヌ・ギユメは、オワーズ県シャンティイで生まれ、ジャン=バティスト・カミーユ・コローシャルル=フランソワ・ドービニーギュスターヴ・クールベらのもとで絵画を学んだ[1][2][3][4]

ギユメは、若い頃は航海に興味を持っていたが、両親の反対に遭った。短期間法律を学んだが、間もなく挫折した。1859年、地元の収集家からテオドール・ジェリコーの『メデューズ号の筏』を模写する仕事を依頼され、これが画家としての出発となった。

21歳にして、ベルト・モリゾからコローを紹介され、当時の多くの若い画家と同様、コローを敬愛し続けた。その後、コローの弟子アシル・ウディノから絵を学ぶようになり、ウディノがオーヴェル=シュル=オワーズに地所を持っていた縁から、ドービニー、エルネスト・メソニエオノレ・ドーミエアントワーヌ=ルイ・バリーらとの親交を得た。1864年頃には、エドゥアール・マネアルフレッド・ステヴァンスカミーユ・ピサロクロード・モネギュスターヴ・クールベポール・セザンヌと知り合い、更にその後、アンリ・ファンタン=ラトゥールエドガー・ドガフレデリック・バジールとも知り合った。セザンヌをマネに引き合わせたり、エミール・ゾラをマネのアトリエに連れて行ったのもギユメであった。

1865年、24歳にしてサロン・ド・パリに初入選した。1866年1867年には落選した。セーヌ川で制作したり、エクスでセザンヌとともに制作したりした。オンフルールで制作をした時にモネと出会った[5]

マネ『バルコニー』

1868年から1869年にかけて、マネの『バルコニー』のモデルを務めた。

1871年には、モネとともにイングランドを訪れたようである。その後、サロンへの入選が続いた[5]

1874年のサロンで、『12月のベルシー』と題する大画面の作品が入選し[6]、批評家や観客から好評を得、国家買上げとなってリュクサンブール美術館に収蔵された。こうした成功のためもあって、友人たちから印象派展への参加を誘われても、サロンへの出展を続けた。ノルマンディー地方の海岸の風景画も描いたが、パリの風景画を描き続け、国家買上げの栄誉も何度か受けた。

1880年には、サロンの審査員となった。モネはこの年サロンに初入選したが、ギユメの貢献があったと思われる[5]

セザンヌが1882年のサロン・ド・パリフランス芸術家協会によるもの)に初めて入選した時、セザンヌはサロン審査員だったギユメの弟子という肩書で入選を認めてもらった[7]

パリのアトリエにて(1885-90年頃)。

1889年のパリ万国博覧会では、『ベルシーの旧桟橋』など7点を出展した。1891年には、セーヌ川の光景を描いた『シャレントンのベルシーの桟橋』を制作し、現在のカルナヴァレ博物館から購入された[8]

1896年レジオンドヌール勲章オフィシエを受章し、その後も、1918年に亡くなるまでサロンへの出展を続けた[5]

作品

  • 『バルフルールの港』
    『バルフルールの港』

脚注

  1. ^ Nos peintres et sculpteurs, graveurs, dessinateurs: portraits et biographies suivis d'une notice sur les Salons français depuis 1673, les Sociétés de Beaux-Arts, la Proriété aertistique, etc.. archive.org. p. 199. https://archive.org/stream/nospeintresetscu00mart#page/199/mode/1up 
  2. ^ Peinture au musée de Dijon; Magnin, Jeanne 1929. Gallica BnF. p. 288. http://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k6227023d/f322.image.r=Guillemet%20Salon.langEN 
  3. ^ La Peinture au musée de Dijon... 3e édition revue et complétée 1933. Gallica BnF. p. 343. http://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k6233189j/f373.image.r=Guillemet%20Salon.langEN 
  4. ^ Catalogue des collections de peinture du musée de Toulouse. Gallica BnF. p. 10. http://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k64209425/f22.image.r=Guillemet%20Salon.langEN 
  5. ^ a b c d “Jean Baptiste Antoine Guillemet: Timeline”. artnet. 2019年6月2日閲覧。
  6. ^ Salon des artistes français 1874, no.878. Gallica BnF. http://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k49763s/f267.image.r=Guillemet.langEN 
  7. ^ Explication des ouvrages de peinture et dessins, sculpture, architecture et gravure des artistes vivans...Salon 1882. Gallica Bnf. http://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k49771d/f162.image.r=%20Soci%C3%A9t%C3%A9%20des%20artistes%20fran%C3%A7ais%20Salon%201882.langEN 
  8. ^ Société des artistes français, catalogue illustré, Salon 1891. archive.org. p. 20. https://archive.org/stream/catalogueillustr1891soci#page/n19/mode/2up 
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